JavaScript is turned off. You may not be able to use some services. Please turn on JavaScript.
Posting period has been closed. Please create new topic to continue the same topic.
最近経営を始め、夫の赴任にともないカリフォルニアに引っ越してきました。京セラフィロソフィ手帳等の理解に苦戦し、もともと活字になじめないのはもちろんなのですが、ここからだと塾長例会に参加するのも大変ですし(学びの燃費が悪くて)困っています。こんな私に、京セラフィロソフィーのポイントをお教え頂ければ嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします!
たとえば、「経営者が利他的に振舞うことが会社を利する」という考え方があり、それに伴い、「会社を利するために経営者は利他的に振舞う」という考え方があり、これらは、「おもわなはじまりまへんがな」(松下幸之助)と「おもえばかなう」(盛和塾)の関係と同様に区別が難しく、その区別をするのが「動機善なりや、私心なかりしか」(※)という自問だったのではないかと思いますが、この自問が効かない例外がいくつかあり、その中のひとつは、従業員のときに利己的だった人ではないかなと思います。なぜなら、そういう人は経営者になって利他的に振舞えば実は利己的なままでいられるからです:
∈∋(44):あたい、この会社もうやる気ないから。
同僚らなど:じゃあなんでここにいるの?
∈∋(44):楽だから。
同僚らなど:(腐ってる)
∈∋(52):駐在できていた上司うぇ~ん
∈∋(49):あたいの得た情報はこの会社に一切残していかない。
同僚らなど:引継ぎ拒否ですか。
∈∋(49):ここが普通じゃないのであたいも普通である必要はない。
∈∋(49):引継ぎがたくさんあるからあたいは最後に出る。
同僚らなど:昨日「引継ぎしない」って言ってたけど?
∈∋(52):塾長うぇ~ん
稲盛塾長:もうよい。十分反省しようとしている。
如何(なもの)でしょうか。
(※)KDDIの母体となった第二電電を設立し通信事業に参入するにあたい、稲盛和夫は、動機は善なのか、そこに私心はないのかと自らに問いかけました。